4度目の年男が暮れていく
今年は大変な年でいろいろなことがありました。大震災の日は、八重洲地下街の入り口で大規模地震に揺れるビルを垣間見、帰宅難民の一人として12kmの道のりを歩きました。
被災した仙台には地震の2日前の9日水曜日にうかがって、今ではあれが余震であったかと思う震度5の地震に遭いましたが、それ以来仙台に次に伺うことができたのは、7月だったと思います。
同じく被災した盛岡を訪問したのが、やっと5月の半ばを過ぎてから。被災地大船渡にお伺いして、残土の山を見たのが、7月の半ばだったと思います。なんのお手伝いもできないことに非常に申し訳なく思っていたのですが、今を、これからを生きていくために、人々が瓦礫の山をかき分けて船を出そうとしていた姿が、印象的でした。
被災地を助け励ますために、実にいろいろな方々が努力されていたことに頭が下がる思いでした。私のいた札幌では、行きつけのラーメン屋さんの店主が軽トラックで被災地に入り、現地で製麺しながら被災地の皆様が冷たいご飯でおなかを壊さないように、少しでも多くの人に温かい1杯をお届けしようと、3カ月ほど行脚しておられたかと思います。それを知って募金をした時のラーメンの1杯は、自らの涙で若干しょっぱかったものです。
そして秋、4年お世話になった札幌を離れるときは、何とも言えぬ非常にありがたいという感慨に耽ったものです。よそ者を温かく迎えてくれた、ラジコン飛行機のクラブの皆様。関わりのあった会社の皆様、近所のクリーニング屋さん、かかりつけの先生にはお願いしていた紹介状を取りに行く時間もなくなり、東京まで送ってもらいました。そして、実際に引っ越す9月21日にあの大きな台風15号(戦後最大級)が日本を襲い、飛行機は大混乱で翌日新潟から本州に上陸、東京まで何とか辿り着いたと思いきや、引っ越し荷物が貨物列車の麻痺によって、4日も遅れて届くという悲運に遭いました。つくづく自然災害に翻弄された今年を、象徴する出来事でした。
しかしおかげさまで、良いこともたくさんありました。東京に4年ぶりに帰ってきて、夫婦水入らずで暮らすこともできるようになりました。しばらく会えなかったあの顔この顔にも会えるようになりましたし、少し大きな仕事を任せてもらえる職級に、8年遅れでギリギリ滑り込み昇格もしました。
そして何より、私の一口出資している持ち馬が2頭併せて5勝してくれ、前回書いたようにグランドシチーはオープン馬にまで登り詰めました。これは賞金以上に、私にも希望を与えてくれる出来事でした。
4回目の年男となると、男は8の倍数の年毎に体質が変わるといわれますが、遠視はだいぶ進み、頭のてっぺんはハゲ、尻は垂れさがり、夜中に小便で起きることが多くなり、また朝も5時ごろ目覚めてしまうなど、確実におっさん街道驀進中です。年末にはPETやMRIを人間ドックで撮ってもらって、肺に小さい結節が発見されたので、半年後にCT検査を受けに行く予定です。
こうしてまた新しい年を迎え、来年は40代最後の年ですし、再来年は遂に50歳として自らの天命を知る年となります。会社人生の集大成を計り、悔い多かった時代を払拭するような10年にして、お得意先の皆様・会社や先輩同僚後輩の恩に報いて行きたいと考えています。どうぞ皆様、これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。




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