9人の乙女の像

 昨日は仕事で日本最北端の市である、稚内市に行っていました。仕事の途中無理を言って現地の担当者に寄って貰ったのが、稚内公園にある9人の乙女の像です。

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 旧ソ連に故郷を追われた、樺太の皆さんのメモリアルである氷雪の門の傍らに、かの国が一方的に攻めてきた昭和20年8月20日!!(ポツダム宣言受諾をソ連を含む4カ国に通告したのが、8月15日ですからね。)旧ソ連の侵略に窮した真岡郵便電話局の9人の乙女が自決したことを伝える9人の乙女の像が、ひっそりと建っています。南樺太の中心的な港湾都市・真岡に対して、一方的に攻撃し上陸を開始した旧ソ連軍は、陸軍が差し向けた軍使を射殺し(ハーグ陸戦条約第32条違反)暴戻なる銃砲弾を市内各地に浴びせつくしたのです。その模様を碑文は認めています。P51910551

 私がその事実を知ったのはかなり大人になってからですが、実は知らずにその話を聞いていたのはもっと小さい頃、レコードプレイヤーのない我家に何故か1枚だけあったEP盤 畠山みどりさんの「氷雪の門」を聞いた時だったのです。当時の私は言葉の意味は分からないものの、その重苦しい哀切を湛える市川昭介作曲の歌を聞いて、泣き叫んだのを覚えています。事件の内容を知らない就学前の私にも、心締め付けられる体験だったのです。戦争をすることは市井を苦しめることになるのは幾多の事実が教えていますが、自らの命を賭してまで戦争を回避する行動を取る責任者が居なくなってしまった官僚国家日本の犠牲となって、花の命を散らせた乙女たちのことを考えると、やはり平和を欲するならばまず戦争を理解すべしというバジル・リデル・ハートの言葉を想起し、無責任な政治が国民の無辜の命を平然と奪っていく様を、皆がもう一度謙虚に学ぶべきではないかなと思います。

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 この9人の乙女達が本来享受すべきであった花も実もある青春を思い、銃撃激しく進退窮まった極限状態に毒を仰いだ苦衷に思いを馳せながら、静かに頭を垂れて帰ってきた次第です。9人の魂よ安らかなれ!合掌!

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瀬戸内旅行

 ゴールデンウィークも今日でお終いですが、今年は夫婦で瀬戸内に行ってきましたので、写真を数枚アップします。

 瀬戸内といえばなんといっても伊予松山!道後温泉は大国主神と少彦名命の神話が残るほどの日本有数の古湯。松山城は日本に残る12の天守閣のひとつ。私の尊敬する秋山の信さんこと秋山好古陸軍大将と、兄よりさらに有名な実弟秋山真之海軍中将の生誕地。最後に加えれば29年前の修学旅行の地として、私にとっては少し特別な場所でもあるのです。さらにはしまなみ海道を渡って尾道と、大和ミュージアムの呉、日本三景の安芸の宮島と周遊したのです。今回の旅で、女房は遂に日本三景完全制覇となるのです。

 4月30日松山に降り立った私達は、早速市内の目抜き通りである大街道でおいしい魚を物色します。私が頼んだのは、ご飯に鯛の刺身を載せてそこに冷たい出汁で割った卵黄をかけて豪快にかっ込む伊予宇和島あたりの名物「ひゅうが飯」、そのうまいのなんのって、それだけで飛行機飛ばしてきた甲斐があったというものです。

 昼食を済ませてまず向かったのは、尊敬する秋山大将兄弟の「坂の上の雲ミュージアム」。今年の11月からNHKでドラマが始まることもあって、平日の割には結構参観者がいました。残念ながらここでは館内撮影が出来ず、写真は載せられませんが、信さんと淳の兄弟を巡る正岡のノボさん(子規)と、ノボさんの母方の藩儒大原家の次男坊で信さんの五分出合である加藤恒忠などの資料が盛りだくさんで、満足な拝観となりました。

 次に向かったのは、松山藩久松松平家の居城松山城です。松山城は江戸時代から現存する12の天守閣のひとつであり、その階段は急峻で、侵入者が容易に駆け上がることを許さないところなどは、リアリティーがあります。

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 展示品を見ていると、本物の甲冑に混ざって、甲冑の試着が出来る場所があり、やっぱりそこは男の子、カミさんに手伝ってもらって着用したのが下の写真です。顔が見えないとと面覆を外して兜をかぶり写真を撮りましたが、パンチクリンに太った異様な武者の一丁上がりとなりました。撮影用の軽量でペラペラな一枚胴の当世具足だったのですが、それでも重くて窮屈なことおびただしく、これを着て体高130cm程度の小さな日本馬に乗って 、よく奇襲行動などが出来たものだと感心します。P43009322

 そのあとは当夜の泊りである道後温泉に行ったのです、その話は後日に譲って本日はここまで。

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愛馬入賞

 昨日は出資している馬が中山で出走するとのことで、仕事で東京に戻ってきていたので、中山に会いに行きました。友駿ホースクラブのガリレオシチーという3歳馬なのですが、最初の4走ぐらいは凡走を繰り返していたものの、前走から騎手が藤澤和男厩舎所属の北村宏司騎手に代わって一変、いきなり掲示板に顔を出す好走を見せたのです。さすが名馬を数多く手がける厩舎所属だけあって、良い馬にたくさん調教をつけている騎手は、馬の活かし方をよく知っているということでしょうか?

 10時40分の発走に向けて10時過ぎには中山競馬場に到着し、まずは応援馬券を買ってから、パドックに会いに行きます。私の出資している馬は、ブライアンズタイム産駒の特徴ともいえる胴の約まった短躯で、どうしても他の馬に比べればコロッと丸く見えがちなんですが、それにしても1番人気に比べると少々太く見えました。心の中で無事に帰って来てくれと願いながら、パドックを周回する馬を写真で撮っていたところ、こちらを振り向いたのが下の写真でした。こちらの心が通じたのかな?などと一人合点したものです。

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 さて、いざ出走となりスタンドのゴール付近の最前列に位置して、ターフビジョンを見守ります。この馬はいつもスタートは大変良いので心配はしていないのですが、最初の頃レースは折り合いがつかずまったく走る気がなかったのが、今回は騎手の手綱によく反応して後ろから2番目の後方待機策ながら、ちゃんと馬群についていっていました。そして第4コーナーを回って直線に向くや一気にロケットエンジンに点火、あれよあれよと足を速めてたちまち12頭をごぼう抜きする姿に、ラジオNIKKEIの実況アナウンサーも「ガリレオシチーがものすごい脚だ!」というと、あっという間に先頭の馬に襲い掛かります。しかし最後はあと一歩届かずという感じでしたが、もしかすると差し切っているかもというかすかな望みでとりあえずウィナーズサークルに向かいます。確定前の1着対象馬ということで、ウィナーズサークルを引き運動されているのが、下の写真です。

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 結果はハナ差届かず2着でしたが、上がり3ハロン36.8秒は出走馬中最速のスピードで、 1着の馬とは2秒も差があり、実際最後の30mほどは、本馬の末脚の凄さに1着の馬が歩いているみたいにしか見えませんでした。今回は一度はウィナーズサークルに入ったものの、サークルの主とはなれませんでしたが、近い将来必ずウィナーズサークルで晴れ姿を演じる本馬のいい予行演習になったなと思い、大変満足して家路についた次第です。

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ワルキューレ

 マニアな人なら「超時空要塞 マクロス」のバトロイドヴァルキリーの語源であり、北欧神話好きの人たちにはオーディンに従う9人の女神を想起するでしょう。ワルキューレはワグナー好きだったヒトラーの非常時護衛計画として楽劇「ニーベルングの指輪」から取られたオペレーションネームなんですが、何故か「=ヒトラー暗殺計画」と言われてたんですよね。というのも、首謀者にして実行犯であったクラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク大佐が、その国内予備軍参謀長という職責を利用してヒトラー本人から直々に承認を得て、ヒトラー暗殺計画後の首都制圧作戦に巧みにすり替えていたからでしょう。頭のいい人はやることが違う!!

 私のドイツ軍好きは、判官びいきもあり、かつ駆使した兵器がカッコよかったというきわめて単純なところから始まっているのですが、その要素のひとつに制服もあります。ドイツ軍の制服には、フランスやイタリアのような華やかさはないものの、威厳ある機能美というものがあるように思います。それと貴族趣味のバリエーションですかね。ゲルト・フォン・ルントシュッテットのように、頑として帝政からワイマール共和国下のライヒスヘール時代の意匠の制服を着用し続けた人もあれば、部隊の中でも4種類ぐらいの制服が並存していたりと、実にバリエーションが多岐にわたっているんですよね。そして生地の色目に関しても、基本色としての下士官・兵と同じフィールドグレイという緑色っぽい灰色があるものの、その色目も実に多彩でして、さらに緑を濃くするのを好む人もあれば、ライヒスヘール時代のアースグレイという明るいグレイに近いもので仕立てさせる人もいました。今回のトム・クルーズ演ずるシュタウフェンベルク大佐の衣装も、かなり他のキャストからは程遠いほど明るいグレイの制服を付けていました。しかも、大戦末期のこの時期ならば、すでに戦前から使用されている両方のポケットが貼り付けポケットになっているM36などの仕立てのはずが、手間のかかる旧来の斜め切り下げのポケットで仕立てさせていて、おしゃれな伯爵家のお坊ちゃまを髣髴させています。今、シュタウフェンベルク大佐の数少ない写真を見る機会として、旧フジ出版のバランタイン版第2次世界大戦ブックの「ヒトラー暗殺計画」(絶版)や、ネット上の画像などでヴィルヘルム・カイテルらとともにヒトラーの傍らで写っている彼の写真は、周りの誰よりも明るい色の制服を着ているため、アースグレイかそれに近い色だったように思います。ですから、その点では、衣裳作家さんの並々ならぬ努力の甲斐がみられています。シュタウフェンベルク大佐がそれ以前に参謀少佐として勤務していた頃の写真には、確かにM36の貼り付けポケットの型の制服が写っていますから、あくまでもアフリカ戦線で受傷後に、本国召還されて後に作った衣裳と思われます。まあどっちにしても、中身がかっこいいので、画面ではかなり映えておりました。「硫黄島からの手紙」日本軍の衣裳とは、ずいぶん扱いが違うなと思いました。

 軍が官僚機構化しているのは、なにも当時のドイツ軍や日本軍に限らず、米軍を含めて広く世界に見られるし、特にドイツの場合は軍隊を国が運営しているのではなく、将校団が維持・運営しているというのがプロイセン以来の伝統ですから、オルブリヒト将軍らの意気地のない対応を、非難することは出来ません。しかし、そこに風穴をあけて、ヒトラー暗殺計画を只の人殺しではなく、ヒトラー政権転覆から連合軍の和平交渉までのロードマップを描いたところに、シュタウフェンベルクの計画の優れた面があります。ただ一時の感情に任せても必ず失敗するのは、日本の2・26事件が好例を提供していますが、この現実的な計画が失敗したことを驚かせるつくりになっている点、監督さんの技量のすばらしさを見ることができます。最近はどこの会社でも、高度に官僚化して事なかれ主義が横溢するか、訳もわからんことを声高に叫ぶアピール上手が出世しますが、それらの多くが実に視野が狭く先の展望のないままに仕事を勝手に進めてしまって、失敗しても何らの責任を取らないわけの分からない状態となっています。いまこそ、失敗してしまったとはいえ、仕事の計画とは斯くも先を見据えたものだということを勉強する意味で、一覧に供するに足る映画だと思います。

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北島三郎記念館見てきました。

 昨日から、札幌に遊びに来ている女房と義母を連れて、函館の湯の川温泉に遊びに行ってきました。単純泉でいいお湯に浸かり、たっぷり海産物(特に夜はこれでもかと言うほどのかに尽くし)を楽しんできました。

 函館と言えば「函館の女」で有名な北島三郎の出身地が同じ地方(渡島支庁上磯郡知内町)ということで、市内には北島三郎記念館があります。そこへ行ってサブちゃんのデカイ鼻の穴からくる声量を堪能してきましたが、帰りの寒さで鼻風邪を引きました。(一応駄洒落のつもりなんですが・・・。お後がよろしいようで。)

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札幌は凄い根雪です

 本年もよろしくお願い申し上げます。

 札幌は既に物凄い根雪になっており、そろそろ一回ぐらい除雪してもらってもいいのではなどと思うのですが、西区ではまだ大々的な除雪をしてもらった様子はありませんね。我家の前は国道5号線のバイパスが走り、その上を札樽道という高速が通っています。そしてその高速の下の空き地は、格好の雪捨て場となっているため、札幌雪祭りのために中央区で大々的な除雪をすると、その雪捨て場として夜中中ダンプが来て、うるさくて眠れません。今年もそろそろその時期が来ますが、それまでまだ半月もあるんだから、その前に1回ぐらい除雪してもらっても、罰は当たらないと思うんですけどね。

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今年の思い出

 写真つき年賀状を作るために、今年の思い出を漁っていたら、こんな貴重なショットを発見しました。9月23日に女房が来道した際に乗った、JR北海道のSLニセコ号ことC11-207号の給水写真です。JRグループで動態保存されて供用中の7機の内の1機ですが、タンク型の本機の特徴である胴体タンクへの給水状態が見られます。ただでさえ珍しくなったSLの、倶知安駅での給水風景の撮影に、当日は鉄道ファンではない私でも、結構興奮したものです。Photo

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初滑り行ってきました。

 札幌に転勤してきた先輩と、一昨日キロロリゾートに初滑りに行ってきました。途中の道でも雪のないところがありましたが、さすがに道内で2番目の積雪量(175cm)を誇るゲレンデは、全山開場とまではいかないもののかなりのところが滑走可能でした。一年ぶりのスキーで一本目から青息吐息でしたが、それでも4000mのダウンヒル2回を含む14本を滑り終え、筋肉痛に苦しみながらも無事の初滑りに満足した一日でした。

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九州行ってきました。

 当年とって45歳の区切りに、連休を頂戴しまして、女房と2人で九州方面に旅行に行ってきました。憧れの熊本城の天守閣に登り、尊敬する児玉源太郎と奥保鞏の西南の役当時の写真も見られました。とりあえず熊本城天守 の写真を貼っておきます。Photo

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お釈迦パートⅡ

 何をやってもドン臭いんですが、今日は10年ぶりのラジコンに挑戦してきました。そして、またもやっちまったんです。ケーニヒスティーガーに続いて、15年親しんだ最後の1機を、お釈迦にしちまったんです。

 エンジンの調整も無事に済み、少し息をつくのが気になりましたが、とりあえず石狩の生振(おやふる)RC飛行場で、飛ばす順番を待っていたんです。ヘリコプターが降りて来た後「次いいですよ。」と声をかけていただいて、私の順番になりました。若干風が強いのが気になりましたが、昔取った杵柄とて、タキシングも快調に離陸をさせたのは良かったんです。ところが、右にエルロンを切って旋回させようとしても、エルロンが動かず、横風を食らって機体が揺れたので焦ってもう一度右に切ったつもりが失速して急降下。あわれ私の飛行機はフルスロットルだったこともあって、10m程度の高度から地面に突っ込んで、エンジンも機体も粉みじんとなったのです。この日のために送受信機の新調など、かなりの投資をしていただけにがっかり。それよりも永年慣れ親しんで、100回以上は飛ばした愛機が、粉微塵となったのです。今年はなんと別れの多い年か!!合掌。

 家へ帰ってメカの作動と回収を行ったところ、意外な事実が分かりました。自分ではそのままメカを乗せたから大して気にしていなかったのですが、バカバカしい事にエルロンが逆転していました。そう、右に切って動かなかったのではなくて、左に急激な舵を切っていたのです。これでは高度の無い状態では、落ちるしかありません。初歩も初歩、なんとエルロンの利きも確かめずに、左右逆転していることも気付かずに飛ばしたなんて・・・。確かに本体についているエレベータサーボが逆転していたために「あれ、こりゃいかん。」と逆転に直しておいたのですが、エルロンまでは確認していなかったのが、最大のミスでした。舵のうち間違いかと思っていたら、舵のサーボのチェックを怠っていたのです。思うに、16年前から使っていたJRのFM型送受信機MAX66と、新しく買ったJRのS-PCM型送受信機のX2720の設定が大きく異なっていたようです。エレベータで起こった逆転現象を気にせず、エルロンの調整もしないで飛ばした大馬鹿野郎!情けない限りです。しかしそれよりも何よりも、やはり札幌の風は強く厳しい。あれでは25クラスの飛行機は風の影響で、ほとんど飛ばせません。関東の穏やかな風で飛ばしていた頃とは、大きな違いでした。仕方がないので、今度は40クラスに46エンジンを載せて、チャレンジしたいと思います。すいません、じじつですが、負け惜しみです。

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